虐待致死が止まらない社会
幼児あるいは児童虐待がエスカレートしています。「きびしいせっかんや、体罰なら昔からあった」という論も理解できなくもなくありませんが、死に至らしめるまで追い込む「事件」が、これだけ多発するのは、やはり異常事態だと考えるべきでしょう。私が注目しているのは「事件」の舞台に、かなりの割合で「内縁の夫」とか、「連れ子」というキーワードが浮上することです。つまり親子とは言っても、父親が「実父」でないケースが非常に多い。逆に女親が「実母」でないケースで、起こる「事件」は聞いたことがありません。
インドのハヌマン・ラングールという猿は、ボスが変わると、新しいボスがメスの連れ子を殺してしまうケースがあるそうです。http://www.rin-5.net/001-250/032-kodoroshi-koudougaku.htm
人の場合、再婚し、連れ子がいても立派に、父親として愛情を注ぎ、経済を支えてらっしゃる方が大半ですから、普遍化はできませんが、もし数%でも、ハヌマン・ラングールのような遺伝子を持つ人がいて、その人が連れ子のある女性の父親になったら・・・。と考えてしまいます。モラル破壊とか、価値観崩壊とか、親の未熟さとか、責任放棄とか、ありきたりの言葉で、当事者を責め立てても何も変わりません。地域社会でのチェック体制を強化するのも大事ですが、それも、いまひとつ成果を上げません。 人とは何か、男女とは何か、子供とは何か、家族とか何か、社会とは何かという根本を問い直す文化人類学、生物学的なアプローチが必要だと考えます。そして未然防止システムを構築すべきです。
で、写真は近所のカフェの扉。よくある「押す」ではなくて、「おして」と書いてあります。なんだか、胸がキュンとして「あ、はい」とか言ってしまいそうになりません?えっ、ならない?失礼いたしましたあ~!!