意見対立や議論は別に「分断」ではない

  みなさんお元気ですか?

 日に日に寒くなります。ジャケット1枚で過ごせるのも後、何週間あるでしょう?

 その間に秋を楽しみたいですね。

 さて米国で大統領選を巡り、トランプ派とバイデン派が激しく対立しました。しかし、その対立をイチイチ「分断」って言葉で煽る必要はないんじゃないかと思います。

 私の持論というかほぼ一般論ですが選挙はある種の戦いで、投票者が、支持者ごとに分かれるのは当然なんです。だからそれぞれの陣営が対立するのは普通のことなわけです。その対立がちょっと激しくなるだけで「分断」でしょうか?

 逆に選挙でもみんな静かで無風状態。対立も、議論もないなんていう国があったら、そっちの方がどうかしているんじゃないかと思います。

 人と人は時に激しく対立し、議論し、そして融合し、また新たな形を作り、そこでさらに変化し、またまたその形を壊して、人と人が離れ対立し、くっつき。。。。。と、その永遠の繰り返し。むしろそれが健全なのではないか。それでいいんじゃないかと。そもそも約60兆個と言われる私たちの身体細胞がそうやって生命の躍動感を保っているではないですか。

 大統領選が終われば、米国の対立も時の経過とともに小さくなるでしょう。少なくとも「自由の国」という標ぼうが本当ならば。。。。

 写真は先日のうろこ雲。それではみなさん、素敵な一週間をお過ごしください!

 

 

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