みなさんお元気ですか?昨日は「春分の日」。満開の桜ももうすぐですね!
さて薬価・流通に関する厚労省の有識者会議もいよいよ佳境に入りました。先週3月17日(金)の会合では、制度改革の最大の焦点である「薬価差」「調整幅」が議論のテーマになりました。事務局(厚労省)がかなり踏み込んだ論点資料を提示しましたし、構成委員の先生方の発言もエッジが立っていました。前回、持論を書きましたが、やはり「薬価差」「調整幅」はもう何十年も前の古い認識、思考では乗り越えられないことがはっきりしました。あまりに当たり前のことを言って恐縮ですが、理由は単純、時代の変遷とともに、医薬品の取引環境も激変したから。
みなさんお元気ですか?ところによって桜もちらほら咲き始めたようです。
SNSの浸透で、いまやジリ貧のメディア業界。その割には、危機感は薄く旧態以前の姿勢、意識から脱していません。というか、これまであまりに特権に浸りすぎていたので、自分たちがどこにいるかもわからず硬直して動けないのかもしれません。
そのメディアが自分で考え、状況分析するのを放棄したり、ちょっと文学者ぶった口ぶりでお茶を濁してごまかそうとする時に、よく使うテンプレートのようなフレーズがあります。
例えば、東南アジア近隣諸国と、日本との間で何らかの課題、問題が生じた時に、相手の国を指していう「近くて遠い国」とか、昔からあって長く改善の見通しが立たない問題についていう「古くて新しい問題」とかがそうです。で、何を意味しているかというと、いずれも「これは難しい問題だ」と言っているだけ。それ以外、とくに意味はありません。記者として、全く無責任な“目くらまし殺法”で、私は使うのを避けています。
最近、薬価制度改革を巡る議論に関する報道で、「調整幅」や「薬価差」を「古くて新しい問題」と称する記事が散見されますが、これも同じ。「調整幅」「薬価差」は現行制度上、あるのが当たり前、生じるのが当たり前なのです。別に「昔」から継続的に問題視され、議論が長く続いているわけではない。確かに数十年前に、大議論になったことがあるが、一度終焉し、再び議論のテーマになったのは数年前です。しかも、何十前と今とでは、その性質が全く異なっている。そういう状況なので、単純に「古くて新しい問題だ」とだけ言われても、受け取り側は、困っちゃうんですよね(笑)
先週、厚労省の有識者検討会が開かれ、「調整幅」「薬価差」が今、どんな状況か。昔と今とで、性質がどれほど違っているか。これからどうするか。かなり踏み込んだ議論がありました。そのレポートを22日朝までに、会員の皆様向けに発信いたします。
少々お待ちください(^_^.)
それでは皆様、御機嫌よう!

◆厚労省の城克文氏(医薬産業振興・医療情報審議官)
はい!みなさんお元気ですか?3月も半ばを過ぎ、医療用医薬品に関する政策論議も過熱してきました。明日、薬価、流通に関する有識者検討会(医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会)の9回目の会合が予定されています。もうすぐとりまとめですから、議論はいよいよ佳境を迎えます。そんな中、検討会運営のトップ、厚労省の城克文(医薬産業振興・医療情報審議官)氏にお時間をいただき、お話を伺いました。城氏は、既存の制度は護送船団的な流れ

◆ご近所の帽子屋さんのショーウインドウを撮らせていただきました。
先週3月9日午後、米国研究製薬協(PhRMA)の記者会見が13時30分から14時30分の予定、エーザイの記者懇談会が15時から16時30分の予定で開かれました。合間は30分という微妙な状況。双方ハイブリッド形式で、久しぶりに会場で直接対面したかったのですが、都内とは言え、それぞれ会場が離れていたので、泣く泣くリモートでの参加となりました。PhRMAの会見では、沢山聞きたいことがあったのですが、質問への回答は会場の記者だけ。リモート参加者の質問には一問も応えずに打ち切りとなりました。まあ、時間切れとのことですが、会場参加の記者が放った質問には、これといって共鳴するものもなかったので、自分にとっては時間の無駄でした。はじめからリモート参加者への回答は、あくまで時間が余ったらでしかないと知っていたら、手も上げなかったのに。主催者側のプレゼン終了後、質疑は聞かず、すぐエーザイの会見会場に行けば、リアル参加に間に合ったかも。。。(うるうる泣)
一方、エーザイの記者懇談会は、いつもながら内藤社長ほか運営側のみなさんが、とても熱かった!!!プレゼン後の質疑も、司会者が「お一人様二問まで」とし、手際よく仕切ってくれました。しかも、会場参加、リモート参加問わず、手を挙げている記者の質問には全部、最後まで答えるという徹底ぶり。予定を1時間近くオーバーし、終了したのは17時30分近くでした。
PhRMAの記者会見は不健全燃焼。一方、エーザイの記者懇談会は大満足でした。記者会見って運営の仕方だけで、ものすごい印象が変わります。
ということで、これは愚痴です(笑)。PhRMA、エーザイの記者会見内容は、本日中に会員皆さま向けの記事をアップいたします。よろしくお願いいたします。

◆復興ボランティアで訪れた石巻市にて① 【撮影=井高恭彦】
今日は3月11日。東日本大震災が発生して12 年経ちます。震災後もヒトの世は続き、良いこと悪いこと、楽しいこと悲しいこと、うれしいこと苦しいことなどなど。。。。。色々ありました。そんなこんなで日々の生活を重ねているうちに、12 年前の東日本大震災は、徐々に徐々に、私たちの「記憶庫」の奥の方へ、奥の方へと押しやられていきます。しかし、あの日あの時、確かに、東日本を大津波が急襲して「絶対に波は超えられない高さ」だったはずの防波堤が決壊、沢山の人が亡くなった。そして「絶対安全だ!」と言われ続け、また信じ続けてきた原子力発電所で爆発事故が起こり、地球上に放射能をまき散らしたのです。

◆復興ボランティアで訪れた石巻市にて② 【撮影=井高恭彦】
ヒトは時間に抗えないし、個体が持つ脳の記憶容量にもどうやら限りがあるようです。とすれば起きた事象ひとつひとつをすべて自分の記憶庫に抱え込んで生き続けることは土台、不可能なこと。
しかし、書籍や写真や映像があれば、「脳の外付けホルダー」として、過去の記憶を引き出し、呼び覚ますことができる。
東日本大震災は思い出すのもつらい悲惨な出来事ですが、一方で、またこの出来事の検証は、二度とこの惨事を繰り返さないための「智慧」と「教訓」を見出す作業でもある。日々、過ぎ去っていく現実の流れにまかせて、記憶の上塗りを許し、薄めてしまってはいけない過去なのです。単に喜怒哀楽を過剰に膨らませて感傷に浸るのではなく、この悲惨な出来事から何を学んで、何を変えていくのか、そしてこれから何を新たに構築すべきかーーー。

◆震災後、老若男女、党派を超えた原発反対デモが多発した 。【撮影=井高恭彦、高円寺にて】
それを考え、見出すことが私たち現実に生きる者の義務であり、使命であるのではないかと。そんなことを今日、私は思いました。
合掌。。。。。
以下のyoutube動画は「freedom2428」さまのチャンネルにアップされていたものです。
東日本大震災 宮城県石巻市 津波の瞬間① – YouTube
東日本大震災 宮城県石巻市 津波の瞬間② – YouTube
みなさんお元気ですか?「おおもう春かあ」と感じたり、「ああやっぱまだ寒っ」って思ってみたり。。。。。(笑)季節の変わり目ってのは、なんだか面白いですね。
さて昨今、広島大学の寄付講座を巡り色々、報道されています。小野薬品が寄付講座にお金を出す見返りに自社製品の納入について確約を取り付けたのではないかと。。。。要は贈収賄疑惑(あくまで疑惑)です。まだ断定できる根拠はない。まったく問題ないかもしれないという段階。まあ、ネタに困っているメディアからすると、はっきりするまでの間、「もし、こうだったとしたら。。。」とか、「もしかしたらこうかも知れない。。。」「そうなるとこうなる」とか、想像をたくましゅうして記事を書けば、一定のアクセス数が稼げるのでおいしいんですよね。こういう状況は(笑)。しかし、メーカーの方も、そんな甘くのんきではない。【写真=MR認定センター主催講習会・2月7日開催】